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 さて、今日はこちらの続きです。前の記事とダブルかもしれませんが、お付き合いくださいな。

こちらの方の兄も、旧日本軍の体罰には悩まされてきたという。
 こちらからいろいろと抜粋する。

「たとえ平手にしろ殴られるということは子供にとって大変な恐怖である。同時にこれ以上の屈辱はない。」


 まさにそのとおりである。そしてそのせいでトラウマを抱えてしまった自分は、本当に悲しい。いい歳になって「殴られる」シーンがあるだけでも(げんこつはあるていど許容。ビンタとかそういうのダメ)、反応を示してしまう自分が情けない。
 例外で私が「殴り返すシーン」が好きなのは、殴られた人間の同じ痛みを思い知れという意味会いももっているのかもしれない。実際エジプトでは、夫の暴力に対して妻が「殴り返す権利」を認めたし。

 数年前になくなった私の母の父も、貴重な日本軍の一人だった。しかし、叔父はもっぱら荷物係で、しかも体罰ばかり育ってきたので、いい思いではないのは前述のとおりである。同じようにして下級兵や近隣の外国人(三国人という言葉を使いたくないけど…)も、旧日本兵による体罰のせいで恐怖と屈辱を味わい続けてきたのだろうか。

「常習的に親の暴力にさらされて育った子供は、やがて同じようにわが子に暴力を振るうようになるのが問題だ。妻や恋人を平然と殴りつけるDV男もそうだが、人を殴りつけて平気な神経は、殴られた経験がなければ出来上がらない。」


 どこかの国際団体の調査では、エジプト人女性の死因の1/3が夫からのDVだという。ひょっとして、その夫は、小さいときに体罰を当たり前のようにして育ったのだろうか。大粛清で名をはせたスターリンも、小さいときに親からの体罰でひねくれたという。右派が問う「いかに多くの罰を受けたかが優しさを決めます。」というのであれば、そういったひねくれものが、優しいとはたしていえるだろうか?それこそ、「1984」でジョージ・オーウェルが説いた「二重思想」ではないのか?

 「体罰を受けるだけでは一流の兵士と呼べない。体罰を与えることによって、一流の兵士となれるのである」というのならば、幼児虐待も平気でやれる人間は、「一流の兵士」であり、認められるような存在なのだろうか?

 今こうして幼児虐待や相撲の体罰事件が明るみになった以上、体罰問題に関しては目を瞑ることが出来なくなった時代、あえて右派団体は時代の流れに逆行するかのように「体罰は教育」と二重思想(ダブルシンク)、イデオロギーをぶちまける。
 何が「体罰は教育に必要」だ。痛みも知っている人間なら、それくらい知っているだろう?それとも暴力を振るいたくて振るいたくて仕方がないなら、ボクシングや殴り合いでもすればいいんだよ。
 体罰をする側は、人の自尊心をも傷つけることに、なんにも抵抗がないみたいだが(それはネットウォッチをするヤツラにしても同じことが言えるよな。)、される側はトラウマを抱えるほど深い傷を負うことになるのだ。

「旧日本軍が今もって蛇蝎のごとく嫌われるのは、暴力を容認どころか礼賛するような組織だったからだ」…。その生き残りが、再び世界に牙をむくのは、同じ日本人として悲しくなるばかりである。

 ちなみに、体罰にトラウマを持っている人って、どれくらいいるんだろうか。
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